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zoom RSS シューベルト『冬の旅』(5) 「リンデの樹」〜「リンデンバウムは菩提樹にあらず?」

<<   作成日時 : 2008/02/09 21:16   >>

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5.リンデの樹

市門の先、井泉(せいせん)の傍に
一本のリンデの樹がある
その木蔭で幾たびも
甘い夢に耽ったものだ

その幹にはいくつもの
愛の言葉を刻みつけた
嬉しい時も悲しい時も
そこに行ってしまうのだった

今日、真夜中の旅立ちに
その前を通らねばならなかった
暗闇の中だったが
しっかりと眼を閉じた

すると梢がまるで
呼びかけるようにざわめいた:
「おいでなさい、お若いの
ここで休んでおゆきなさい」

正面から顔に
冷たい風が吹きつけ
帽子を飛ばされたが
僕は振り向かなかった

今はもうあの場所から
ずいぶんと離れてしまったが
僕にはまだあのざわめきが聞える
「ここにお前の憩いがあるというのに!」

Der Lindenbaum

Am Brunnen vor dem Tore,
da steht ein Lindenbaum,
ich träumt’ in seinem Schatten
so manchen süßen Traum.

Ich schnitt in seine Rinde
so manches liebe Wort;
es zog in Freud und Leide
zu ihm mich immer fort.

Ich mußt' auch heute wandern
vorbei in tiefer Nacht,
da hab ich noch im Dunkeln
die Augen zugemacht.

Und seine Zweige rauschten,
als riefen sie mir zu:
komm her zu mir, Geselle,
hier findst du deine Ruh.

Die kalten Winde bliesen
mir grad ins Angesicht;
der Hut flog mir vom Kopfe,
ich wendete mich nicht.

Nun bin ich manche Stunde
entfernt von jenem Ort,
und immer hör' ich's rauschen:
du fändest Ruhe dort!


・井泉(せいせん):庭園や路地などで湧水に井戸構えを施したもの

「リンデンバウムは菩提樹にあらず?」

言うまでもなく「泉に沿いて茂る菩提樹・・・」の名訳(近藤朔風)で親しまれ、ドイツではジルヒャーの編曲により民謡として歌われている、あまりにも高名な曲ですが、今回の訳では、Lindenbaum(リンデンバウム=リンデの樹)の訳語に「菩提樹」を使わず直訳にしました。その理由は

・リンデ(和名:セイヨウボダイジュ=シナノキ科)は、釈迦がその下で悟りを開いた木、いわゆる菩提樹(和名:インドボダイジュ=クワ科)とは無縁の植物であり、ドイツでは仏教とは無関係に古代ゲルマン時代から親しまれてきた木である。
・ ドイツでは古くから愛の象徴であり、この詩の中では煩悩の象徴になっているリンデを、釈迦の解脱にちなむ木の名で呼ぶのはいささか倒錯的。
・ 「泉に沿いて茂る菩提樹・・・」で慣れ親しんだ、懐かしくも包容力の感じられる「菩提樹」という呼び名に断腸の思いで別れを告げることで、この詩の表現するものを身をもって味わうことが出来る。

三番目は冗談ですが、まあひとつの試みとして読んでいただければ幸いです。なお、ドイツ詩の日本語訳としては「リンデの樹」としましたが、一般にはLindenbaumはそのままリンデンバウムと呼べばよいと思います。

さて、この詩におけるリンデの呼びかけが死への誘いであることは最早定説であるようで、古今様々な論がありますが、わたしは最初の呼びかけ(もちろん若者自身の内心の声)は過去への断ち難い思いであり、二度目の呼び声は「憩い=永遠の安息への憧れ」を示唆するものとする、ごく普通の解釈で訳しました。

『菩提樹はさざめく』で三宅幸夫氏は「菩提樹のさざめきがいざなう先は、永遠の安息、より即物的に言えば首吊り自殺なのである。」(同書p.58)というギョッとするような記述をされていますが、「凍った涙」で明らかになっている零下の極寒のもとで、リンデの木の下に留まることは遠からず凍死を招くこと必定であり、わざわざ首をつる必要もないでしょう。また、泉に入水するという説もあるようですが、この寒さでは凍っているでしょうし、Brunnenは泉というより井戸、泉水を引いて作られた水飲み場のようなもので、人が飛び込めるような湧水の溜まった池ではないようです。これも「泉に沿いて茂る菩提樹・・・」の訳から生み出されたイメージでしょうか

具体的な死の方法の議論など無用のことではありますが、この物語の背景に、その場に止まることが直接死につながるほどの極寒の脅威が常に存在していることは意識すべきかと思います。そして若者は迷いながらも死の誘惑を退け、わが道を進んで行きます。

・リンデLinde
Lindenbaum(リンデンバウム=リンデの木)も同じ。その名は樹皮がしなやかであることに由来するという。和名:セイヨウボダイジュ(洋種菩提樹とも)。
冷温帯である欧州中部から南部の一帯にわたって分布するシナノキ科の落葉高木で、日本で菩提樹と呼ばれる中国原産の樹木の近縁種。本来の菩提樹であるインドボダイジュとは全く異なる植物だが、その背景には、仏教がインドから中国にもたらされたとき、聖木のインドボダイジュ(クワ科)が熱帯植物なので、気温の低い中国では育たないための代用として、葉の形がやや似たシナノキ科の樹木が植えられて菩提樹と称され、さらにそれが臨済宗の僧、栄西により1168年に日本にもたらされたという経緯がある。
英名はLime tree(ライムの木)だが、もちろんライムでも柑橘類でもなく(ドイツもイギリスも柑橘類の北限以北)Linde treeが訛ったものであるらしい。よくよく名前を間違えられる木のようです。米名はLinden(リンデン)。

参考文献・参考HP
・「シューベルト作曲 歌曲集 冬の旅 対訳と分析」(南弘明・南道子著 国書刊行会)植物種としてのリンデンバウムについて簡潔にして十分な解説がある。それでも一般の植物図鑑より詳しい。
・岩波独和辞典:小型の辞書にもかかわらずリンデの名の由来が明記されている。本書を含め古めの辞書では単に「菩提樹」とされているが、小学館独和大辞典は「(菩提樹など)シナノキ科の木」としている。
・原色世界植物大図鑑 (北隆館)
・原色樹木大図鑑 (北隆館)
橘江里夫のホームページ
 ネット上でリンデンバウムと菩提樹の違いを明らかにしているHP。「音楽的には、子音を強く発音するドイツ語のLindenbaumに漢語の強い子音を持った菩提樹を当てたことは、さすがだと思います。そしてなによりも日本人にとっては宗教的な広がりを持つこの言葉をタイトルとしたことによって、原曲以上に日本人の心を掴んだのではないでしょうか」とのご指摘は正鵠を射ていると思います。(同HPの「リンデンバウムは菩提樹か」の項より)

(2008.2.9 甲斐貴也)

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それでも岩波独和辞典は役に立つ
たまたま,次のブログを見つけました。 ...続きを見る
deueu ameba / DEUEUの...
2008/04/16 12:15
Lindenbaum 少し長い文章になります
■菩提樹。  この言葉の響きと漢字としての視覚効果は、驚くべきものがある、などといえば大仰でしょうか。 ...続きを見る
辻 乃 森 音 楽 師
2008/11/01 19:59

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コメント(5件)

内 容 ニックネーム/日時
今回もいい訳ですね。単なる泉ではなく「井泉」と訳しておられるのは名訳だと思いました。
植物や動物の名前を訳すのはなかなか難しいですね。以前"Nachtviolen"をどう訳すか話題になったことがあったと思いますが、日本語の正式名だとピンとこないけれど、他に訳しようがなくてそのまま使用したり、イメージに近い言葉でお茶を濁すということはある程度許容されてもいいのでしょう。でもそろそろ近藤氏の名訳を離れて"Lindenbaum"を「菩提樹」という訳語から解放してもいい時期にきていると思います。私も甲斐さんの「リンデの木」に1票投じます。ただ、カタカナの「ボダイジュ」という訳語ならまだ字面から受ける仏教色が薄まるのでいいかも。
この木のささやきについては、「過去への断ち難い思い」と「憩い=永遠の安息への憧れ」という解釈に賛成です。彼は過去の甘い思い出を理性では断ち切ろうとしているけれど、ふと気が付くとその思い出に酔いしれている自分がいて、本気で死ぬ気はないのに、死んでしまった方が楽なのかもしれないと思って気を紛らわしている−そんな行ったり来たりの感情が感じられます。
フランツ
2008/02/10 12:52
この曲は、高校生の頃からチャレンジしていますが、未だに巧く歌えません。
歌曲は、言葉のの響きと曲が一体となっているので、原詩で歌うしかないのが大きな悩みです。私のレベルでは、言葉(発音)と曲に全神経を使ってしまい、言葉の意味などが頭から抜けてしまいがちです。
その意味で、良い対訳があると大変助かります。日本語で考える人には、ドイツ語と共に適切な日本語によるサポートが必要です。
一時は、私の生活語であった英語や、ポルトガル語ですらそうですから、第2外国語として習っただけのドイツ語は、一層日本語による意味、感情などのアシストが必要です。
この訳は、平易でなおかつ原詩に忠実で素晴らしいと思いました。
これを頭に入れて、またチャレンジしてみたいと思います。
お陰様で、堀内敬三だと思っていたことが、近藤朔風だと分かり、7年間晒した恥の打ち止めができました。
ありがとうございました。
橘 江里夫
2008/02/10 13:26
>フランツさん

いつもありがとうございます。この曲から「菩提樹」の名を外してしまうのはなかなか勇気の要る冒険でしたが、総じて好評のようでほっとしました。

>そんな行ったり来たりの感情が感じられます

おっしゃる通りで、そうした感情の機微を読み取ろうとするべきであって、「これは実は死の誘惑なのだ」という断定で論を進めることは、一筋縄でいかないこの作品を一色に塗りつぶすように思えてきました。

>橘 江里夫様

ご訪問ありがとうございます。貴HPの記述を拝読したことが、リンデンバウムの訳語の問題や、近藤朔風の訳詩の価値や意義について考えるきっかけとなり大変感謝しております。訂正のお役に立てましたこと嬉しく思います。
この曲をお歌いになるとのこと、歌曲作品の受容のあり方として理想的なことですね。わたしは自分で歌えないのでうらやましく思えます。お褒めのお言葉を頂きまして恐縮です。わたしの訳詩がお役に立てるのならこんなに嬉しいことはありません。
甲斐貴也
2008/02/10 22:56
甲斐さん、こんにちは。このページを開かれた日に、「リンデの樹」の訳詞をお送りいただき、メールに「愛と煩悩の象徴の木の訳語に、仏教の解脱の象徴の木の名を使うのをやめた」と書かれてあったことを思い出します。その時から、すでに甲斐さんに同意していたのですが、100年日本人が親しんできた訳語から1歩踏み出す勇気がなかなかなく、甲斐さんの「リンデの樹」が普及してから使わせていただこうとお伝えしました。私も、「菩提樹」ということばへの愛着と同時に、このことばはインドボダイジュに帰すべきという気持ちもあり、5ヶ月間たいへん苦しみました。詳しくは、私のホームページに書いてあります。
甲斐さんから最初のメールをいただいてちょうど5ヶ月の7月7日、リンデの象徴する「愛」を七夕にかけるかのように、私も訳題を「リンデの樹」にしました。しばらくは括弧書きで「菩提樹」も加えます。困難も伴うと思いますが、それによって、ミュラーとシューベルトによる不朽の名作を深く解釈し、伝えることができると確信しております。
最初の1歩を遂げられた甲斐さんの勇気を讃え、決心を与えてくださったことに感謝いたします。
渡辺美奈子
2008/07/08 16:23
>渡辺美奈子さん

この件につきましての大変丁寧でお心のこもったコメント、誠に有難く感激しております。わたくしの問題提起がきっかけで、貴HPでも「菩提樹」を「リンデの樹」に変えられたとのこと、大変光栄に思います。わたしのように素人の自由な立場ではないあなたが、既に定着した呼称を変更に踏み切ること、大変な勇気が要ることと推察し、心から敬意を表します。今後のあなたの研究の大いなるご発展を祈念しております。今後もどうぞよろしくお願いいたします。
甲斐貴也
2008/07/29 23:44

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