シューベルト作曲『雀の子』?~朔風『菩提樹』以前の"Lindenbaum"受容

『冬の旅』(5)「リンデの樹」の項で近藤朔風の名訳「菩提樹」(1909/明治42年)について調べるうち、それ以前の明治23年(1890)に出版された『明治唱歌第五集』所収の「ぼだい樹」に行き当たりました。井上武士編『日本唱歌全集』(音楽之友社)に掲載されたこの曲は、シューマンの合唱曲「流浪の民」の名訳で知られる倉本小三郎氏の訳になっています。この曲では朔風の名訳に一歩譲る出来栄えとも思いましたが、はて、朔風以前の外国曲の日本語歌詞は、原詩とは無関係のもののはずではなかったか? しかも1880年生まれの朔風より1歳若い倉本氏が1890年出版の訳を手がけられるはずもない。ふと注釈を見ると「雀の子」という曲名の表記があります。調べてみると、既に著作権の消滅した『明治唱歌第五集』はネット上の「近代書誌データベース」で公開されており、その中にありました、まさしく「雀の子」が(14)。

http://school.nijl.ac.jp/kindai/CKMR/CKMR-00068.html

「雀の子」 

(1)芝生のうへに小笹(をざさ)の葉に 
   うつくしや 来てあそぶ雀
  きのふのけふの 巣立ちてまだ 
   かよわき翼 馴らしてやよ 
             そらによもに

(2)母の手はなれ飛びゆく子よ 
   まだ知らじ世の風も波も
  とほくなゆきぞ ばら咲く野に 
   近くなおりぞ みなぎる瀬に 
             あはれ雛よ

作曲者も作詞者も表記されず「西洋曲」とだけ記されたこの「替え歌」を現代の目から見て笑うのは容易い事でしょう。しかしわたしは19世紀末、シューベルトの作曲から60年余りで、既に我が国で『冬の旅』の片鱗と言えども享受されていたことに大変感銘しました。この手書きの、手作りの楽譜、洋楽揺籃期の先人の努力がにじみ出ているではありませんか。おそらくシューベルトの作品の、そして『冬の旅』の我が国での受容の小さな第一歩であろう明治唱歌「雀の子」は記憶に留めておきたいものです。

おそらく朔風の「菩提樹」が発表された後、『明治唱歌』の歌詞も原詩の訳詩に改められたのでしょう。その朔風の『菩提樹』が収録された『女聲唱歌』は残念ながらネット上で公開はされていないようですが、「ゆかし言葉」が「愛の言葉」になっていることがあったり、漢字と仮名の使い分けも判然としないところがあるので、是非とも一次資料である生前の出版譜は参照してみるつもりです。それにしても早世した朔風(本名・近藤逸五郎1880-1915)の命が「菩提樹」発表の後6年しかなかったとは。わずか35歳の生涯は、同じような年齢で早世したシューベルト、ミュラーと重なるものがあって切ないです。奇しくも来る2月14日のバレンタインデーは、朔風の誕生日に当たります。

(2008.02.12 甲斐貴也)

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この記事へのコメント

goethe-schubert
2008年06月22日 13:50
『明治唱歌』は、かつて他大学図書館からの写真コピーを持っていました。懐かしいです。ネット上でこんな貴重な楽譜が見られる時代は、便利ですね。
甲斐
2008年06月24日 19:36
>goethe-schubertさん
とっくにご覧になっているとはさすがです。本文に書き忘れましたが、これは原曲ではなく民謡調編曲ですね。おそらくジルヒャーでしょうけども。

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