アイヒェンドルフ/グリュック:「不実」(こわれた指輪/涼しい谷底で)

フリードリヒ・グリュック作曲
Friedrich Glück (1793-1840)独
「不実」(こわれた指輪/涼しい谷底で)
Untreue (Das zerbrochene Ringlein /In einem kühlen Grunde)
詩:アイヒェンドルフ

涼しい谷底で
水車が回る
そこに住んでいた
僕の恋人はもういない

あの娘は誠を誓い
指輪をひとつ贈ってくれた
あの娘は誠を破り
小さな指輪はふたつに割れた

吟遊の楽師になって
遠い国に旅立ち
自分の詩を歌い
家から家へと巡ろうか

騎兵になって颯爽と
血生臭い戦場を駆け
暗夜の野原で
静かな炎の前に眠ろうか

あの水車の回る音がする
僕はどうしたらいいのだろう
死んでしまうのが一番だ
そうすりゃすぐに静かになる


In einem kühlen Grunde,
Da geht ein Mühlenrad,
Mein' Liebste ist verschwunden,
Die dort gewohnet hat.

Sie hat mir Treu versprochen,
Gab mir ein'n Ring dabei,
Sie hat die Treu gebrochen,
Mein Ringlein sprang entzwei.

Ich möcht' als Spielmann reisen
Weit in die Welt hinaus,
Und singen meine Weisen
Und gehn von Haus zu Haus.

Ich möcht' als Reiter fliegen
Wohl in die blut'ge Schlacht,
Und stille Feuer liegen
Im Feld bei dunkler Nacht.

Hör' ich das Mühlrad gehen,
Ich weiß nicht, was ich will,
Ich möcht' am liebsten sterben,
Da wär's auf einmal still.

ドイツ民謡として名高い曲ですが、アイヒェンドルフの詩に作曲されたれっきとした歌曲なので、正式には民衆の伝承による本来の「民謡"Volkslied"」と区別して「民謡調歌曲"Volkstümliches Lied"」と呼ばれるとのことです。

シューベルトの『冬の旅』の第7曲「流れの上で」の歌詞の中に出てくる「こわれた指輪"ein zerbrochner Ring"」という言葉の意味がはっきりわからないと書いたところ、Autyさんにこの曲をご教示いただいたのですが、ご覧のように歌詞がまるで『美しき水車小屋の乙女』と『冬の旅』をいっしょにしたようなのに加え、原詩の発表が1813年、曲が1814年と、まさにミュラーが『冬の旅』の実体験をしていた頃なのです。『指環の文化史』(浜本隆志著:白水uブックス)という興味深い本によれば、ドイツを含む古代ローマ帝国の文化圏では「こわれた指輪」は愛の不実の象徴とのことですが、この曲でもまさにそのように用いられています。

同書によれば我が国では奈良時代より明治時代まで指環文化が全く廃れており、あの鹿鳴館の頃に再輸入されたため、「指環」という言葉は明治時代、「指輪」は大正時代に作られた言葉なのだそうです。考えてみれば和服に指輪という取り合わせがあり得ない事からもわかりますが、それが指輪というものに対して日本人が、単なる装身具以上の象徴性を即座に感じ取れない理由なのかもしれません。

元々原詩は"Lied"とのみ題された無題詩で、グリュックは歌曲を「不実」と題しました。その後1826年に原詩が詩集に収録された折りに「こわれた指輪"Das zerbrochene Ringlein"」と改められましたが、この曲をその名で呼ぶことがあるのはそのためでしょうか。しかし現在では詩の第一行目の「すずしい谷間で(拙訳:涼しい谷底で)"In einem kühlen Grunde"で呼ばれることが多いようです。他に「嘆き"Die Klage"」と題しているCDもありますが、題名の異なる複数の楽譜が流通しているのかもしれません。

録音は合唱によるものが多いですが、聴いて楽しいのは芸達者な歌手の独唱でしょう。その点でプライ(エンジェル「ドイツ民謡集」)に優る者は考えられないくらいです。
(2008.3.12 甲斐貴也)

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この記事へのコメント

other_wind
2008年03月13日 21:27
非常に興味深いですね。
水車屋の娘の話は、当時の人々にとってはよく知られた失恋話の一つだったのでしょうか。
「吟遊の楽師」という言葉も、「冬の旅」の「辻音楽師」と「旅するヴァルトホルン吹き」を連想させます。
「吟遊の楽師」にも当時の人々の共通概念があったのかもしれませんね。
「冬の旅」も「水車屋の娘」も、詩の受け取り方は当時の人々と、現代の日本に住む私たちとは相当違っていると考えられますね。
甲斐
2008年03月14日 07:35
ここに、この曲の物語の絵葉書がたくさん載っています。下の方のおじさんの失恋絵図がなかなか味わい深い(笑)
http://www.goethezeitportal.de:80/index.php?id=2575
水車小屋の娘との恋というのは、当時の定番だったようです。聞きかじった話では、パイジェッロの歌劇『水車小屋の美しい娘』が当時大ヒットしたため、類似のものがたくさん作られたが、その中でも抜きん出て優れたシューベルトのもののみが後世に残った、ということだったと思います。パイジェッロの歌劇は忘れられたものの名作であったようで、近年CDが出ていますがわたしは未聴です
甲斐
2008年03月14日 07:43
楽器を弾いて歌ったり、お客の伴奏をしていくばくかのお金を貰って旅する楽師も定番だったのでしょうね。これは当時の封建的社会からは疎外された人ということにもなるでしょう。その代り自由であると。
それと、当時のドイツが日本における明治維新のような変革期であり、黒船ならぬナポレオンに対抗するため、バイエルン国やプロイセン王国のような諸侯の廃藩置県と言語の統一を進め、それまでなかった「ドイツ人」という概念を作りあげようとする過程であったことも大変重要だと思います。今の我々が思っている確固としたドイツでは全く無かったのですね。平民あがりの大学生、将校、文学者となったミュラーは、まさにその時代を象徴する存在であるとわかりました。
maru
2012年09月08日 01:09
突然のコメント、失礼いたします。

NHKに100名の賛同があると再放送を検討してもらえる番組リクエストのサイトがございます。私はプライが水車小屋の娘全曲を歌った1997年8月の芸術劇場をリクエストしています。もしできましたら、賛同をお願いできませんでしょうか。
賛同の方法はNHKの「お願い編集長」というページで、「お願い!検索」で「プライ」と入力して検索していただき、リクエストのページに入りますと、Eねボタンがありますのでクリックしていただくと完了します。

伴奏者の名前など記憶にないのですが、大変感銘を受けた放送です。
よろしければ、お力添えをお願いいたします。

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