シューベルト『冬の旅』第9曲「鬼火」

「鬼火」

岩場の谷の奥底へ
鬼火に誘い込まれて行った
どうやって出口を探すか?
そんなことはどうでもいい

迷うことには慣れてしまった
どんな道にも行き着く先があるのさ
人の喜びも苦しみもみな
鬼火のゆらめきでしかないのだ

干上がった渓流の跡を辿り
ゆっくりと降りて行こう・・・
どんな流れもやがて海に達するように
どんな苦悩もいつか墓穴に入るのだ

Irrlicht

In die tiefsten Felsengründe
lockte mich ein Irrlicht hin:
Wie ich einen Ausgang finde?
Liegt nicht schwer mir in dem Sinn.

Bin gewohnt das irre Gehen,
's führt ja jeder Weg zum Ziel:
unsre Freuden, unsre Leiden,
alles eines Irrlichts Spiel.

Durch des Bergstroms trockne Rinnen
wind ich ruhig mich hinab-
jeder Strom wird's Meer gewinnen,
jedes Leiden auch sein Grab.

この詩はミュラーの詩集では『宿屋』の次にありますが、終盤でのこの配列は非常に陰惨な感があります。シューベルトの配列では曲集中最初の死への言及となり、本当の死への憧れというより、ニヒリズムを気取っているようにも思えます。
注目すべきは、鬼火はただそこにあるだけで、決して語りかけてきたりすることはなく、沼沢地で発生するメタンガスの自然発火とも言われる、単なる自然現象として解釈できることです。『冬の旅』には「3つの太陽」「旅人を惑わす幻」「鬼火」など超自然的なものが現れますが、それらはほぼ自然現象として説明できること、風見やリンデンバウムの語りかけは、若者自身の内面の声であると考えられることと合わせ、この詩集の近代的性格を形作っていると言えるでしょう。
いずれにしても、曲集中に点在する春と愛の思い出と極端な対照をなす陰惨極まりない光景です。
(2008.3.27 甲斐貴也)

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この記事へのコメント

other_wind
2008年03月28日 19:26
「宿」「鬼火」というミュラーの並べた詩の順序がなんとなく分かります。「宿」で墓場での死を拒否され、どうにでもなれ、結局行き着くところは同じさという自暴自棄の気持ちに繋がっていくのでしょう。
シューベルトは、第8曲「回想」で怒りのような激情から始まり、最後に「彼女の家の前に立ってみたい」と憧れるように終わりますが、次のこの「鬼火」は、それとは対照的にぽつんとひとりぼっちを際立たせるような孤独、内省の音楽になりますね。味わい深いです。
甲斐
2008年03月29日 09:32
ミュラーの詩の配置はわたしもそう思います。荒涼とした世界をさすらうすさんだ心、というかなり救いの無い光景ですね。

シューベルトの、第8曲の動に対照する静という効果のある配置も良いですね。ここでもシュトゥッツマンはとてもよかったです。
other_wind
2008年04月03日 19:13
トレーケルの新譜を聴きました。
演奏そのものより、その解説にショックを受けました。
「冬の旅」には希望的展望がないのかもしれません。
甲斐
2008年04月03日 23:25
「シューベルトの設定では辻音楽師は死に他ならない」ってとこですか? あれはなんだかなあ。具体的根拠があるわけではないのでは? どんな惨めな境遇でも構わず楽器を弾き続ける老人に共感し、ならば自分は歌って行こうじゃないか・・・という詩だと思うんですけどねえ、今のところ。
甲斐
2008年04月04日 12:57
まだ取り上げるのは先ですが、わたしはゲーテの「竪琴弾き」と関連づけようかと思っています。シューベルトはこの詩のいくつかに何度も作曲していますし、ミュラーも読んでいたことはまず間違いないでしょう。
other_wind
2008年04月04日 16:39
シューベルトのつけた辻音楽師のあの荒涼とした音楽がずっと不思議でなりませんでした。
希望的展望を持って書かれていればもっと明るいものになるのではないかと思っていました。
しかしライアーマンを死と捉えるとすべて辻褄が合うように思われます。

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