『冬の旅』第10曲「休息」~恐るべき寒さ・・・小氷期


休息

身を横たえ休んで初めて
いかに疲れているか気づいた
荒れ果てた道の旅に
気力を得ていたのだ
脚は休息を求めなかった
立ち止まるには寒すぎたから
肩は荷の重みを感じなかった
強風に歩みを助けられたから

小さな炭焼き小屋に
身を休める場所を見つけた
だが四肢は休まらない
傷が燃えるように痛むのだ
心よ、お前は戦いや嵐の中で
あれほど勇猛果敢だったのに
静けさの中で初めて蟲が蠢き
その灼けた針に刺されている


Nun merk ich erst, wie müd ich bin,
da ich zur Ruh mich lege;
das Wandern hielt mich munter hin
auf unwirtbarem Wege.
Die Füße frugen nicht nach Rast,
es war zu kalt zum Stehen,
der Rücken fühlte keine Last,
der Sturm half fort mich wehen.

In eines Köhlers engem Haus
Hab Obdach ich gefunden;
doch meine Glieder ruhn nicht aus:
so brennen ihre Wunden.
Auch du, mein Herz, in Kampf und Sturm
so wild und so verwegen,
fühlst in der Still erst deinen Wurm
mit heißem Stich sich regen.

谷底の鬼火目指して降りていった若者、鬼火のお導きなのか(これは冗談ではありますが、実際ドイツの民話の鬼火には報酬を与えると夜道を照らしてくれるという伝説があるそうです。)炭焼き小屋を見つけて休むことができたようです。この詩は、主人公の苦悩について以外にも多くのことを物語っています。

・寒さ
「凍った涙」で、樺太と同緯度であるドイツの冬の寒さは時に零下20~30度にも達し、ものの喩えでなく本当に涙が凍るという話をしましたが、その恐るべき寒さの中を旅するこの詩集の中で、主人公が自ら「寒さ」について言及するのがこの詩だけであるのは非常に興味深いと思います。その寒さたるや、「立ち止まるには寒すぎた」という、すなわちそのまま留まっていれば凍死は免れないほどの、わざわざ菩提樹の枝で首をくくる必要もない、常に主人公の命を脅かしているはずの寒さ。主人公は常にその命を奪おうと隙を窺う死神と旅しているとも言うことができると思います。

渡辺美奈子氏の論文(※)によれば、ミュラーの実体験は1814年の11月であったと思われます。いくら寒いといっても11月ならばまだそれほどでも・・・と思いかねませんが、調べてみると当時の冬は現代よりもずっと寒かったことがわかりました。中世の終わりから19世紀半ばまで続いた小氷期(しょうひょうき)と呼ばれる寒冷な気候の時代だったのです。

・小氷期
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E6%B0%B7%E6%9C%9F
・1808年の飛騨で11月に2メートルの降雪があり、鹿や猪が大量死したという記事。
http://gifu.cool.ne.jp/hidachigaku/climate2/climate3/shikazuka.htm

特に1805年から1820年にかけてのヨーロッパは、小氷期でも特に寒い期間であったそうです。産業革命前、鉄道敷設もまだの当時、厳しい寒さの冬は旅をするような季節ではありませんでした。当時「冬の旅」という題名は、それ自体異様な行為という印象を与えるものであったはずです。なおその後19世紀半ばから気候は温暖化に向い、その要因として同時期に始まった産業革命との関係が取り沙汰されているようです。

・荷の重さ
これは前後関係から見て「辛い思い」の隠喩でなく、現実に主人公の背負っている荷物が相当に重いということで良いと思います。故国に戻るため私物をまとめたのでしょうが、これはこの「旅」がよく言われるような無目的な「さすらい」ではないことを意味してはいないでしょうか。また、食料など真冬の旅のための十分な装備をしているということも考えられるでしょう。判断を誤りさえしなければ、極寒の中の旅を乗り切る準備と体力が主人公にはあったとも考えられます。当時ミュラーが軍から追放されて故国に帰還の旅に出たとされることから、軍用の冬支度をしていたのかもしれません。また、いくら炭焼き小屋で風雪を避けたとはいっても、何らかの手段で暖をとらなければ、その寒さでの睡眠は凍死に直結するでしょう。暖炉に火をつける道具なども持っていたのかもしれません。

・「戦いと嵐」
これが「嵐との戦い」ではなく並列に置かれていることで、「戦い」とは一体何との戦いなのかが問題になります。渡辺美奈子氏は前出の論文でこれをプロイセン軍義勇兵としての戦争体験の回顧であると指摘しています。そうであるならば、この詩集における数少ない主人公の職業を示す手がかりになる部分となります。

参考文献:
・渡辺美奈子「『冬の旅の』根底にあるもの-ヴィルヘルム・ミュラーのベルリン、ブリュッセル時代」(ゲーテ年鑑第48巻所収)
・ブライアン・フェイガン「歴史を変えた気候大変動」東郷えりか・桃井緑美子訳(河出書房新社)

(2008.4.21 甲斐貴也)

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この記事へのコメント

other_wind
2008年04月24日 21:14
「休息」もとぼとぼ歩くようなテンポで、寒々とした内省の音楽ですね。
次の「春の夢」との対比が一段と鮮やかになりますね。
この歌詞の中に「嵐」という言葉が出てきますが、18曲目の「嵐の朝」との関連を考えてしまいます。
ミュラーの順序でいくと「嵐の朝」が14番目、この「休息」は19番目になり、シューベルトの順と前後が入れ替わります。
この歌詞は「嵐の朝」を踏まえたものなのか、ちょっと気になるところです。
甲斐
2008年04月25日 01:31
other_windさんコメントありがとうございます。

お説の通り、ミュラーの配列から見て「休息」の「嵐」は「嵐の朝」で描写されている嵐のことと見るのは極めて妥当だと思います。ミュラーの原詩寄りのわたしの方向性からすると、ミュラー自身の配列に言及しなかったのは片手落ちでした。御指摘ありがとうございます。

甲斐
2008年05月07日 19:48
追記です。
次の曲「春の夢」の項に書きましたが、「炭焼き小屋」の中での情景と思われるその詩の中で鶏が鳴いていることから、この「小屋」は一般に思われているような無人ではなく、つまり炭焼き用の窯にかけられた小屋ではなく、炭焼き職人の住居ではないかと考えました。そこで

小さな炭焼き小屋に
身を休める場所を見つけた



炭焼き人の狭い家に
一夜の宿を得た

に訂正します。こうなると「孤独」「辻音楽師」以外で他者との接触がある箇所となります。もちろん「孤独」と同じく、主人公は炭焼き人(あるいはその家族も)に全く関心を持たず、どんな人物なのか描写されません。
甲斐
2008年05月07日 19:53
なお、ドイツの炭焼きは平地にいくつも薪を円錐状に積み上げ、その上に土をかけて窯を築く方法で行われ、また我が国と異なり山が少ないことから、所在地は普通森の中ということになります。
goethe-schubert
2008年06月24日 07:31
以前お話したことです。シューベルトは詩の2節ずつをまとめて繰り返していますが、詩を書くときには、節ごとに分けるのを忘れないでね。
甲斐
2008年06月24日 12:34
>goethe-schubertさん
いつもありがとうございます。四行四連の詩なのに、八行二連にレイアウトしてしまいましたね。これも修正します。

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