シューベルト『冬の旅』第15曲「烏」~誠実の象徴

15. 烏

一羽の烏があの街から
僕のあとについて来た
今日まで絶えることなく
頭の上を舞っていた

烏よ、おかしな奴め
僕を見捨てる気はないのか
多分もうじきここで
僕の体を餌にするつもりだな

まあいい、いくら杖にすがっても
もうこれ以上進めはしまい
烏よ、最期に僕に見せてくれ
墓まで続く誠実というものを


15. Die Krähe

Eine Krähe war mit mir
Aus der Stadt gezogen,
Ist bis heute für und für
Um mein Haupt geflogen.

Krähe, wunderliches Tier,
Willst mich nicht verlassen?
Meinst wohl bald als Beute hier
Meinen Leib zu fassen?

Nun es wird nicht weit mehr gehn
An dem Wanderstabe,
Krähe, laß mich endlich sehn,
Treue bis zum Grabe.


Krähe(クレーエ)は、同じ烏でも「春の夢」に出てきたRabe(ラーベ)=大鴉/ワタリガラスとは違う、我が国でも普通に見られるハシボソガラスです。雪景色の中、灰色の空を舞う黒い烏。第二連では自らの遠くない死に、第三連では旅の終わりと墓に言及しています。そのため、死の象徴としての不気味な黒い鳥と、その死肉を食う習性への嫌悪感、恐怖感を主眼とした訳が多いようです。ことに梅津時比古氏の『冬の旅~24の象徴の森』は、Kräheを醜悪な存在とした解釈を詳述しています。

しかしわたしは少し違うことを考えました。まず前曲「灰色の頭」であれだけ死が遠いことを嘆いているのに、次には一転してそれを恐れるというのはいささか一貫性に欠けると思うのです。そこでこの詩を、死への恐れではないと仮定して読んでみると、実は主人公は烏への非難や恐れ、怒りの言葉などを一切口にしていないことが見えてきます。自分の死肉をついばもうという烏の意図に触れても、むしろ淡々としており、最後に頼みごとさえしています。烏を死の象徴とするなら、この感情は死への憧れ、親しみとも言うことができるでしょう。

そして第三連、一般に烏に「忠実さ」を求める訳がほとんどですが、若者は何故そんなことを言うのでしょうか。これは「忠実」よりもむしろ「誠実」であり、娘の不誠実に対照した言葉とわたしは読みました。今の若者についてきてくれるのは、死肉を狙う烏だけという惨めですさんだ情景。その烏に対して反語的に呼びかけられるかのような「墓まで続く誠実」とは実は反語ではなく、「生涯を貫く誠実」「死まで変わらぬ愛」の意であり、娘の不実に苦しむ若者は今わの際に「誠実」を見たいと痛切に願った、というのがわたしの解釈です。

そのように考えていて思い出したのが、このシリーズで既におなじみのミュラーとシューベルトの研究者、渡辺美奈子さんから伺った、烏を誠実の象徴とする説でした。これが先日渡辺さんのHPで新たな『冬の旅』のコーナーにまとめられていますので是非ご覧下さい。

http://www.ne.jp/asahi/minako/watanabe/index.htm (「冬の旅」のコーナー)

これによると、烏には誠実の他に当時「スパイ」の意もあり、自由主義思想を持つミュラーが、復古主義体制による検閲やスパイ行為を批判したという解釈も成り立ちます。そうなるとこの詩の烏には、死の使者、誠実の象徴、当局のスパイという3つの解釈があるということになります。思うにこれはどれかひとつが正解ということは無く、ミュラーによって重層的に仕掛けられたものではないでしょうか。大変な読書家で、古今の文学や伝説に精通していたというミュラーは、その豊富な知識で様々な象徴を駆使して、一見単純な民謡調の詩に重層的な意味付けを盛り込んでおり、それが『冬の旅』の驚くほど多種多様な解釈を生み出す要因となっているように思います。その作品の面白さ深さは、かつての「二流詩人」などというレッテルとはかけ離れたものです。

烏についてもうひとつ、「春の夢」の項で引用したC.W.ニコル氏のネット上のエッセイは、元々神聖な鳥であった烏がネガティブな象徴になったきっかけとして、中世以後の戦乱で戦場に放置された死者を烏がついばむ情景が多く目撃されるようになったからと推定しています。その凄惨な光景は死者を埋葬していれば起こりえないことで、烏の罪ではないわけです。この話に関連付けるとすれば、主人公の烏への思いには、ミュラー自身のナポレオン戦争の従軍体験が反映されているのかもしれません。

「オオガラスの物語~カラスは不吉な鳥なのか」

「C.W.ニコルのTALK IN NATURE」より

この詩の中で主人公の頭をKopfでなくHauptにしていることを、梅津時比古氏の前掲書では重視し、興味深い分析をされておられます。しかしわたしはそれに今ひとつ必然性を見出し難い思いがあり、単に韻律上の問題でニュアンスの異なる同意語を選んだのではないかと推測し、渡辺さんに質問したところ正にその通りとのことでした。定型詩を読むにはこのような問題もあり、解釈が難しいところです。これについても上記の渡辺さんのHPに記述されていますが、この部分で強音と弱音が1音節ずつ交替する韻律を守ることの積極的意義が示されており、大変素晴らしい解題となっています。

シューベルトの音楽は言わずもがなの素晴らしさですが、皆さんはここから上記の3つの解題のうちどれを聴き取るでしょうか。わたしには、シューベルトが表現したのは醜悪なる死の象徴との対話とも、当局のスパイへの当てつけとも思えないのです。それは痛切にして哀切なる、「墓まで続く誠実」への渇望ではないでしょうか。
若者が逃げ出してきた、彼女のいるあの街から執拗に付き従い、常に頭上を舞って若者の死を伺う烏。「シューベルトの冬の旅」においてそれは、若者を極限状況に追い詰める、彼女への思い切れない愛のネガティブな象徴でもあるのだと思います。

(2008.6.21 甲斐貴也)

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この記事へのコメント

goethe-schubert
2008年06月22日 00:21
誠実の象徴である烏が、醜悪な存在とは。特にシューベルトの美しい旋律を知りながら、そんなことを書くなんて、開いた口がふさがらないですね。後奏で烏が主人公と同じ旋律を歌いながら、落ちていくところなんて、まさに「墓場までの誠実」です。それに死体を啄むことは、「烏の罪ではないわけです」から←「 」内の甲斐さんの文、とても面白いです。甲斐さん、がんばってね。
甲斐
2008年06月22日 08:36
goethe-schubertさん、コメントありがとうございます!

そうですね、詩の象徴性の追求ももちろんですが、『シューベルトの冬の旅』を語るには、最終的にその音楽に深く耳を傾けなければならないでしょうね。

烏の罪でないということは、罪深いのはもちろん人間の戦争という所業。それを烏に罪を着せるとは、烏に言わせればなんという不誠実な言いがかり・・・というところでしょうね(笑)
goethe-schubert
2008年06月22日 09:26
「墓まで続く誠実」への渇望を「彼女への思い切れない愛のネガティブな象徴」と結論づけた甲斐さんの解釈はすばらしいですね。でも「シューベルトの冬の旅」においてでしょうか。ミュラーこそ、2度の大きな失恋と、革命の理想の断念によって、誰よりも「誠実を渇望」していた人だと思います。『冬の旅』に直されてはいかがでしょう。
ken
2008年06月22日 11:19
ペットとしてハシブトガラスを飼うと楽しそうです
なにしろ遊ぶ鳥なので♪
「ソロモンの指輪」に出てくるカラスもKräheだったみたいです♪
甲斐
2008年06月22日 23:18
>goethe-schubertさん
仰るとおりですね。これは恋愛だけでなく、自由主義運動の隠喩でもあるのですね。再考してみます。コメントありがとうございます。
甲斐
2008年06月22日 23:34
>kenさん

カラスの生態、調べれば調べるほど面白いですね! 友達になれたら、特に旅の意道連れになれたらこんな楽しいヤツは他にいないでしょう。
甲斐
2008年06月23日 01:16
>Claraさん

烏という字、特にWEB上で見分けにくいですね。しかしそれにひっぱられて変えるのも気が進まないので烏のままにしました。前に出た「大鴉」では鴉を使ったんですが。

サイトご紹介ありがとうございます。本当にカラスというのは面白いですね。
goethe-schubert
2008年06月23日 08:43
「菩提樹」と「灰色の頭」ではKopf だったのに「烏」でHaupt を使った理由を「韻律上の問題」ととらえたのは、すごい洞察力ですね。
Clara
2008年06月23日 09:17
この詩とは関係ないかも知れませんが、鳥葬という風習のあるところも、地球上にはありますから、その場合の鳥(カラスとは限りませんが)は、厳粛な死の儀式の担い手なのでしょう。
多分、西洋人には馴染まない、文化だと思います。
Clara
2008年06月24日 00:44
済みません。
詩のテーマから、ちょっと逸れたコメントしてしまいました。
お手数ですが、削除願います。
申し訳ありません。
甲斐
2008年06月24日 08:23
おはようございます。
そんなことはないですよ、話題が発展して面白いではないですか。どうぞお気になさらずに。レスを考えていたとこでした。
この訳に際して多少カラスの文化史について調べていたのですが、『カラスはホントに悪者か』(大田眞也 弦書房)という本が面白かったです。カラスを題材とした詩ではエドガー・アラン・ポーの「大鴉」が有名ですが、この書ではボードレールの鳥葬願望の詩が紹介されています。

鴉葬願望(永井荷風訳)

われ遺書を忌み墳墓を憎む
死して徒に人の涙を請はんより
生きながらにして吾寧ろ鴉をまねき
穢れたる脊髄の端々をついばましめん

これはいい詩ですね。そして著者の大田氏は、人間は生前数え切れないほど多くの生きものの命をいただき、自分の身体を作り上げ、生かさせていただいてきたのだから、最期に自分の身体をカラスに与えるのは自然の摂理に適っているとコメントしています。

なるほど・・・とうなる話ですが、やはり自分や家族を鳥葬しようと普通思わないのは、西洋人に限ったことでないんじゃないかな(笑)
甲斐
2008年06月24日 08:46
但しこの本、小さい白黒写真ながらカラスが種々の小動物を捕食したり、交通事故死した動物の遺体を食べているものがいくつも掲載されているので、自然の摂理を厳粛に受け止める覚悟を持って紐解かないとショックを受けるかもしれません。
甲斐
2008年06月24日 08:49
>goethe-schubertさん
レスが前後してしまい済みません。ご高評ありがとうございます。これは声楽家の川村英司氏が、「道しるべ」においての同種の問題を論じていたのがヒントでした。
Clara
2008年06月25日 00:33
あ、もうレスが付いていたんですね。

昔「鳥葬の国」という本を読んだことがあり、カラスから連想して、つい、触れてしまいましたが、自分が育ってきた文化や風習と、違うことについては、他人様のブログのコメントで、軽々しく言及するのは、適切ではないと思いましたので、お願いしました。

私も、自分や家族を鳥葬にしようとは思わないですが「普通思わない」ではなく「私は思わない」と言うことです。
それが普通だと思う文化に生きる人たちもいるわけですから・・。

自分で言い出して、恐縮ですが、このくらいで、ご勘弁下さい。
今後は、「冬の旅」の詩について、謙虚に鑑賞させていただこうと思います。失礼しました。
甲斐
2008年06月25日 00:56
Claraさん、それは西洋か東洋かでも、普通か普通でないかでもない問題であるということですね。とても勉強になりました。今後も有意なレスお待ちしております。
渡辺美奈子
2008年07月08日 15:40
甲斐さん、こんにちは。甲斐さんからご質問をいただくまで、「菩提樹」と「白髪の頭」では "Kopf" 「烏」では"Haupt"を使っているということすら、注目しておりませんでした。甲斐さんはそれどころか、"Haupt"の選択が韻律上ではないかという点まで突き止められ、その鋭い着眼点には驚くばかりです。詳しくは私のサイトで書きましたので、ここでは控えますが、ミュラーは整然とした韻律を守ることで、墓場に至るまでの「誠実」を表し、それを解したシューベルトが、音楽でも誠実さを表したのですね。貴重なご質問のおかげで、たいへん有意義な考察ができ、感謝いたします。
甲斐
2008年07月09日 07:15
渡辺さん、おはようございます。丁寧なコメントありがとうございます。いつも質問ばかりして恐縮ですが、それが少しでもお役に立てたなら誠に喜ばしい限りです。韻律の件など、そうかなと推測は出来ても、渡辺さんのお力を借りなければ単なる思い付きの憶測に終わるところでした。本当にありがとうございました。
渡辺美奈子
2008年09月03日 00:11
甲斐貴也さん、今回は訳詩にコメントします。『冬の旅』では、いくつか同じことばが繰り返され、それを私は「動機」と呼んでいますが、この詩では、「烏」、"wunderlich" ということば、「旅の杖」、「墓」と動機がたくさん出てきますね。これらの動機を見てみると、「烏」は中世から誠実の象徴であり、「旅の杖」は「旅籠」で「誠実な旅の杖」として登場し、「墓」はこの詩では、ゲーテの「トゥーレの王」に通じる「墓まで続く誠実」ですので、すべて「誠実」に関することになります。"wunderlich"は、最後に「辻音楽師」で使われるので、その関連からすれば、ポジティフな意味と取るべきでしょう。日本語で表現するのはたいへん難しいですが、あなたはこれを「おかしな奴め」と訳し、ひとつの意味ではなく、詩句の持つさまざまな意味をうまく日本語で表現できたと思います。第3節前半も名訳と思います。前の方から訳していきますと、あとで「旅の杖」や"wunderlich"が登場した時に、前の詩を見直す必要が出てくるかと思いますが、動機に注目するといいですね。互いにがんばりましょう。
甲斐貴也
2008年09月03日 02:24
>渡辺美奈子さん
コメントありがとうございます!
実はこの訳詩、自信作だったのですが、訳への評価が頂けず寂しく思っていました(笑)。ありがとうございます。丁寧にご指摘いただきましたとおり、この詩の各動機は大変重要ですね。特に「旅の杖」をただの「杖」と訳したため、「旅籠」の項でトンチンカンなことを書いてしまい汗顔の至りです。全曲終えてから見直しを図りますのでご容赦ください。あなたのご研究の成果も期待しております。ありがとうございました。

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