シューベルト『冬の旅』:第17曲「村で」~「時代は芸術を支配する」(ヴィルヘルム・ミュラー)

シューベルト『冬の旅』:第17曲「村で」~「時代は芸術を支配する」(ヴィルヘルム・ミュラー)

17. Im Dorfe 村で

吠える犬たち、がちゃがちゃ鳴る鎖
各々(おのおの)の寝床で眠る人々
叶わぬものをいくつも夢みて
良かれ悪しかれ元気を取戻す
そして朝には全て融けて流れてしまっている
いいじゃないか、分相応に楽しんだのだから
そして願うのだ、手の届かぬものは
ともかくもまた枕の上で見られるようにと

吠えて僕を追い払ってくれ、目覚めている犬たちよ
微睡(まどろみ)の時に僕をとどまらせないでくれ!
僕は全ての夢を見尽くしてしまった
寝入った連中の所でぐずぐずしていられるものか


Es bellen die Hunde, es rasseln die Ketten,
Es schlafen die Menschen in ihren Betten,
Träumen sich manches, was sie nicht haben,
Tun sich im Guten und Argen erlaben,
Und morgen früh ist alles zerflossen.
Je nun, sie haben ihr Teil genossen,
Und hoffen, was sie noch übrig ließen,
Doch wieder zu finden auf ihren Kissen.

Bellt mich nur fort, ihr wachen Hunde,
Laßt mich nicht ruhn in der Schlummerstunde!
Ich bin zu Ende mit allen Träumen,
Was will ich unter den Schläfern säumen?

『冬の旅』の詩の中でも、社会批判の要素が前面に出ている問題作です。小市民的な人々の暮らしに、若者は何故このように辛らつなのでしょうか。失恋の悲しみからの八つ当たりというのではあまりに軽薄ですが、そうではなく、この詩には当時の社会状況とミュラー自身の体験が反映されていると言えます。

ドイツではナポレオン戦争のことを解放戦争と呼びます。フランス革命の理想をヨーロッパで普遍化すべく侵略を始めたナポレオンによる、1806年のベルリン占領以後1813年まで、後に統一ドイツの中心となったプロイセンはフランスに隷属し、領土の半分を奪われ、巨額の賠償金を課され、数々の制度の強制を受ける屈辱的状況にあったからです。かつて無敵を誇ったプロイセン軍が、ナポレオン率いるフランス軍になすすべなく敗退した原因は、封建君主時代からの傭兵と強制徴集による少数精鋭のプロイセン軍に対して、解放農奴の徴兵を主力とし、フランス革命の理想とナショナリズムに酔ったフランスの国民軍が、数十万もの空前の動員力と高い士気を誇ったからです。この新時代の画期的な軍隊はさらに、傭兵のように給金の高い方に寝返ることがないのでコストが低く、強制徴発の兵が常に狙う脱走の心配も少ないという、権力にとって誠に好都合の軍隊だったのです。

プロイセンはフランス国民軍に対抗するため、敗戦後軍制の改革とナショナリズムの醸成を図る教育改革を進めました。その流れの中で1810年に創設されたベルリン大学の学長となった哲学者フィヒテは、ナポレオン支配下での危険を顧みず、有名な連続講演『ドイツ国民に告ぐ!』で「ひとつの国民、ひとつの民族、ひとつの国家」であるところの「自由で強力な統一ドイツ」を命をかけて訴えかけました。「十九世紀初頭のプロイセンにあって、ナポレオンの支配に対する屈辱と憎悪をバネに「ドイツ国民意識」を喚起しようとした一群の知識人・官僚が存在した」(『国民国家とナショナリズム』)。そして1812年のナポレオンのロシア遠征に出兵を強いられたプロイセンは、その大敗に乗じてロシアと単独で講和、1813年3月プロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム3世は、国民に「自由のための戦い」を呼びかけて国民皆兵令を宣言、フランスに宣戦布告しました。

そのベルリン大学に初めての平民の大学生の一人として入学し、在学中に「解放戦争」に義勇兵(装備を自費で整えて参加する兵士)として参戦し、戦功により平民ではじめての将校の一人となったのが誰あろう、若き日のヴィルヘルム・ミュラーなのです。

そして1813年5月、名高い激戦「バウツェンの戦い」で11万のプロイセン・ロシア連合軍は、倍近い20万のナポレオン軍の攻撃を受け、約1万2千の戦死者を出して撤退するという敗け戦さながらも、ナポレオン軍に約2万の損害を与えて追撃を振り切るという消耗戦を成功させましたが、この激戦に加わったミュラーは、自らは生き残ったものの、眼前で幼馴染の戦友を失うという悲劇に見舞われました(註)。

その後の一時休戦の間にスウェーデン、オーストリアを味方に付けて戦力を増強したプロイセン連合軍は、名高いプロイセン参謀本部の軍略により粘り強い消耗戦を仕掛け続け、一見敗北の連続に見えながらナポレオン軍の戦力を斬減し、1813年秋、ライプツィヒにおける歴史的「諸国民の戦い」でついにナポレオン軍を数的優位で包囲圧倒、敗走するナポレオンを追撃して翌年にはパリ占領、ナポレオンを政権から引きずりおろして完全勝利を得ます。そしてその戦後処理を決めたのが「会議は踊る」の名言で有名な「ウィーン会議」です。その結果は「ウィーン体制」と呼ばれる反動政策、つまり、ナポレオン戦争以前の特権階級の既得権益の復活と保護であって、プロイセンでも開放政策は後退し、自由主義運動の弾圧と思想統制が始まります。それに対して、大方の市民は表立った抵抗もせずに従い、内にこもった小市民的自己満足の文化を生み出します。これが「ビーダーマイヤー」と呼ばれる時代です。

ナショナリズムを煽り立て、自由・独立と言う美名により若者を死地に駆り立てて、目的を達すると手のひらを返すように自由主義運動を弾圧した、国家による国民への裏切り行為と、それを諦めて受け入れてしまう不甲斐ない国民。両者に対する、解放戦争の勇士ミュラーの怒りと苛立ちは言わずもがなでしょう。

つまり、『冬の旅』の、「恋人の裏切りに苦しむ若者」の物語は、ウィーン体制下の「冬の時代」に「国家の裏切りに苦しむ愛国青年」の苦悩の隠喩でもあり、「村で」は不甲斐ない市民社会への批判でもあると読めるわけです。別項で、この物語は解放戦争当時のミュラーの失恋の実体験に基づくものと言う話をしましたが、恋人の裏切りに苦しんで、極寒の中をさまよう若者の身分が明かされないのは、それが解放戦争の象徴である学生義勇兵(現ドイツの国旗の赤、黒、金の三色はその制服の色に由来するとされています)であることを、検閲対策上隠すためであり、その代りに適当な職業・身分を設定しなかったのは、この隠された身分がこの物語において重要なものだからではないかと、わたしは推測しています。

この曲に対するシューベルトの作曲もまた、「いいじゃないか、分相応に楽しんだのだから そして願うのだ、手の届かぬものは ともかくもまた枕の上で見られるようにと」のところに、当時流行のパイジェッロのオペラのアリアを引用し、辛らつな効果を上げていることが近年知られています。ウィーン体制下、ベルリンよりもさらに検閲の厳しかったというウィーンに暮らしたシューベルトも、この詩のメッセージを的確に読み取っていたようです。シューベルトは当時のそうした状況を嘆く「国民に嘆く!」という自作の詩を、友人ショーバー宛の手紙に記しており、これは後日拙訳を追記するつもりです。

鎖の音とも、犬の吠え声とも言われる奇妙なピアノ伴奏ですが、わたしにはどちらかというと鎖の音に聞えます。例によって重箱の隅をつつく話ですが、この詩に現れる犬の種類は何だろうとふと思い、愛犬家でもあるミュラー、シューベルト研究家の渡辺美奈子さんに伺ってみたところ、1800年ごろにつくられたベルギー・シェパードかもしれないとのことでした。心優しい渡辺さんは、寒空の下で鎖につながれたワンちゃんたちが可哀想とも仰っていました。なるほどその視点から見ると、主人公と同じ寒さの中、鎖で自由を奪われ、主人公と同じく「目覚めている」犬たちは、ぬくぬくと惰眠を貪る人々の側ではなく、むしろ若者の同志なのかもしれません。前記の様な隠喩から簡単に思いつくような、当局の手先の象徴ではない、あるいはそれだけではないのかもしれないと思いました。確かに、この詩と音楽から、主人公の犬への敵意はわたしにはあまり感じられないのです。シューベルト好きの方なら、彼がその詩に多く作曲した友人で、役人として心ならずも検閲の仕事に携わり、後に自殺したマイアーホーファーのことも思い出されることでしょう。

余談ですが、「ナショナリズムに駆り立てられて地獄の戦場に身を投じる若者」と『冬の旅』と言えば、トーマス・マンの『魔の山』の最終場面を思い起こす方もおられるのではないでしょうか。その主人公ハンス・カストルプは第一次世界大戦の戦場に赴き、隣にいた兵士が砲弾で粉々に砕け散るという状況の中、『冬の旅』の「リンデンバウム(拙訳では「リンデの樹」)」を口ずさみながら突撃を敢行しますが、目的地点の制圧のため、1000人の戦死を見込んで3000人の兵士を突撃させるという、人間の命が単なる数字と化してしまう非人間的な戦場の描写は、ミュラーのバウツェンでの体験に非常に似ていますし、中世以来専制君主同士のパワーゲームであった戦争が、ナショナリズムに燃える国民同士が憎み合い殺し合う近代的戦争へと変質したのが、フランス革命以後のミュラーの時代であったわけです。

マンは『魔の山』の中で、牧歌的な「リンデンバウム」の郷愁に潜むのは死の世界であるという、いささか突拍子もなく思われる論を展開していますが、その詩の作者ミュラーが第一次大戦の100年前、それまでの最大規模の戦死者を出した「解放戦争」における「もう一人のハンス・カストルプ」であったことを思うと、マンのナショナリズム批判という真意が見えてくるような気もします。前回の「最後の希望」で、『最後の一葉』の作者O.ヘンリーが、ミュラーの詩集・資料集を読んでいた可能性について触れましたが、1914年の第一次世界大戦勃発により『魔の山』執筆を中断、物語を変更して主人公の出征という結末を与えたマンについても、同じ可能性があると言えます。

それにしても、『冬の旅』が単なる失恋物語ではなく、このようにヨーロッパ史の転換点の重要な局面に大きなかかわりがあること、重層的な隠喩に満ちた作品であることは、1月に「おやすみ」に取り掛かったころには思いもよりませんでした。そうした視点への目を啓いてくださった渡辺さんには感謝の言葉もありません。

註):渡辺美奈子さんのご教示によれば、ミュラーにはバウツェンで戦死した同郷の友人ボルネマンを悼み、帰国後に書いた詩「僕の友人 Ludwig Bornemann の墓碑」(1815)がある。「ミュラーが前線で戦った数ヶ月、彼は大切な友を失い、敵と味方の無惨な姿を目にし、自らも常に死と向き合った。ミュラーの詩において繰り返し用いられる「争い」、「血」、「死への恐怖」などのモチーフは、戦いの苦しい体験から生まれたことはいうまでもない」(渡辺美奈子「時代は芸術を支配する―― ヴィルヘルム・ミュラーの詩と生涯」2007)。
※今回のサブタイトルはこの渡辺さんの論からお借りしました。ミュラーの『ローマ、ローマ人 第1巻』導入部からの引用で、原文は「芸術が時代を形作ることはできないが、時代は芸術を支配する。」とのことです。

参考文献:
渡辺美奈子「『冬の旅』の根底にあるもの――ヴィルヘルム・ミュラーのベルリン、ブリュッセル時代――」 『ゲーテ年鑑』第48巻所収 (日本ゲーテ協会)
『国民国家とナショナリズム』谷川稔(山川出版社)
『愉しいビーダーマイヤー』前川道介(国書刊行会)
『ドイツ参謀本部』渡辺昇一(祥伝社)
『フィヒテ』福吉勝男(清水書院)
トーマス・マン『魔の山(下)』関泰祐・望月一恵訳(岩波文庫)

(2008.7.21. 甲斐貴也)

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この記事へのコメント

渡辺美奈子
2008年07月21日 15:34
甲斐さん、こんにちは。解放戦争について、作品との関連からたいへんわかりやすく書いてくださり、ありがとうございます。私も執筆の参考にいたします。なお確かに拙稿「『冬の旅』の根底にあるもの」では、ミュラーが犬たちを監視員や検閲官に喩えたという内容を書きましたが(『ゲーテ年鑑』第48巻 2006 92頁)、その検閲官もまた、マイアホーファー同様、自由主義思想を持ちながら生活のために職務に就かざるを得なかった者たちかもしれません。ですから、犬たちが検閲官や役人に喩えられたとしても、極寒の夜に鎖に繋がれながら「番犬」という職務をこなすワンちゃんたちと矛盾しているわけではありません。事実ミュラーが批判対象としているのは、犬たちではなく、復古主義時代という「時流に迎合する俗物的人間」(拙著前掲論文 90 頁)ですよね。主人が誰であれ忠実に使えるという意味で、役人とワンちゃんたちは共通しており、主人公とも、そうした時代に苦しむ者として相通じるものがあるかもしれません。なお甲斐さんの記事、『魔の山』と関連は素晴らしいですね。これからも、真実追究のため、互いに協力してまいりましょう
goethe-schubert
2008年07月21日 16:11
甲斐さん、こんにちは。今回も興味深く、楽しく読ませていただきました。解放戦争や『魔の山』との関連のみならず、犬の種類に関心が行くという発想が、甲斐さんらしいですね。私はスイスのツェルマットで、ベルギーシェパードに会ったことがあります。黒くてつやつやした長毛、愛想が良く人なつこいのが魅力です。飼い主のご厚意で少し散歩させてもらったのですが、このわんちゃん、飼い主にはお利口さんですが、私がリードを持ったとたん、あちこち歩き回って、私が引きずられて歩く始末でした。でも警察犬として使われている犬種なのですね。プライがプローベで『冬の旅』を歌った時に、寝ていたボクサーが「村で」の出だしの旋律で2度目を覚ましたというエピソードも面白いですね。プライは『冬の旅』を歌うたびにあのボクサーを思い出すそうですが、私は自分の愛犬に、この曲の前になると「ほら、出番よ」と言っていました。そのような愛着から、甲斐さんがこの詩において、「犬ども」ではなく「犬たち」と訳してくれたことがとても嬉しいです。鋭く社会批判しながらも、可愛らしさの感じられる貴重な曲ですよね。
甲斐貴也
2008年07月21日 20:55
>渡辺美奈子さん
早速のコメントありがとうございます。今回も数々の情報提供ありがとうございました。渡辺さんの「犬たち」への考察、大変興味深いです。ミュラーのベルリン大学の同窓生にも、きっとマイアーホーファーのような立場の人はいただろうと想像できますね。当時のドイツのトップエリートだったのでしょうから。

『魔の山』については、主要人物セテンブリーニとナフタが決闘することになる原因が、解放戦争からウィーン体制下での自由主義運動とテロリズムの是非に関するナフタの発言であったこともあり、物語の根幹にこの時代のドイツの社会情勢が大きく影響を与えているのは間違い無いでしょう。まだ第二次大戦どころかナチスも登場してない執筆当時、解放戦争とウィーン体制の件は、ドイツ知識人にとって現在では想像もつかないほど大きな問題であったことでしょうね。
この件については、素人がそう簡単に解明できるような話ではないので、さらに情報収集を図り、今後の課題にしていきたいと思います。
甲斐貴也
2008年07月21日 20:59
>これからも、真実追究のため、互いに協力してまいりましょう

身に余るお言葉大変恐縮です。わたしの拙いHPが少しでもご研究のお役に立てることがあれば誠に光栄に思います。今後もよろしくお願いいたします。
甲斐貴也
2008年07月21日 21:05
>goethe-schubertさん
コメントありがとうございます!
ベルギーシェパードとプライの楽しいお話ありがとうございます。
「犬たち」という訳を喜んでいただけて幸いです。「犬ども」を「犬たち」にするだけで、詩全体の様相が変わって来ますね。後半の、犬に頼みごとをしているところがとても生きてきます。もしかするとミュラーも愛犬家だったのかのしれない?(笑)
渡辺美奈子
2008年07月26日 20:13
甲斐さん、こんばんは。本日私のHPで、ヴィルヘルム・ミュラーの詩「僕の友人ルートヴィヒ・ボルネマンの墓碑」のページを開きました。本来なら甲斐さんがこのページを公開する前に出すべきでしたが、決心がつかず、遅れてしまったことをお詫びします。
この詩では、戦死した幼なじみのために、友情と悲しみが切々と綴られており、友人の名"Bornemann" と「泉」"Born" が掛け合わせられています。さらに『冬の旅』にとって重要なことですが、ミュラーが少尉として赴いたブリュッセルでの不信仰と愛欲に溺れた日の後悔も、詩の後半に描かれています。このページはこれまでの研究発表原稿等をもとに急いで書いたもので、訳も、甲斐さんのように推敲を重ねた流麗な日本語ではありませんが、もし興味がある方は、訪問してくださると嬉しいです。なお、ミュラーが解放戦争の前線で戦っていた頃の詩「緒戦の朝の歌」と「追憶と希望 1813年5月エルベ川を渡って退却後に」も開いておりますので、重ねて読んでいただけると、ミュラーの思いがより伝わるかと思います。
甲斐貴也
2008年07月27日 10:05
>渡辺美奈子さん
初邦訳の「僕の友人ルートヴィヒ・ボルネマンの墓碑」の新ぺージ、拝読しました。『冬の旅』にかかわる箇所もあるとは驚きです。大変貴重な資料であり、またミュラーの心情を垣間見ることの出来る作品ですね。お詫びなどとはとんでもないことです。この上ない素晴らしいサポートに大変感謝しております。ありがとうございます。
こちらもこれまで未邦訳の「緒戦の朝の歌」と「追憶と希望 1813年5月エルベ川を渡って退却後に」も、これまた当時のミュラーの状況や考えを知る上で貴重極まりない訳ですね!
これらの詩と解説から浮かび上がるミュラーの人柄に、わたしも魅せられてきています。

(ご覧の皆様へ:渡辺美奈子さんのHPへのリンクはリンク集に貼ってあります)

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