シューベルト『冬の旅』:第18曲「嵐の朝」~嵐の朝の三色旗?

18.嵐の朝

烈風はかくも引き裂いた
天空の灰色の衣を
千切れ雲が乱れ飛ぶ
戦いに疲れてあちこちに

そして紅い焔の輝きが
その中へと進んでゆく
これぞ僕の想いそのままの
朝であると言おう

僕の心はこの空に視る
自らの絵姿を
それは冬そのもの
冷たく荒ぶる冬なのだ

18. Der stürmische Morgen

Wie hat der Sturm zerrissen
Des Himmels graues Kleid,
Die Wolkenfetzen flattern
Umher im mattem Streit.

Und rote Feuerflammen
Ziehn zwischen ihnen hin,
Das nenn' ich einen Morgen
So recht nach meinem Sinn.

Mein Herz sieht an dem Himmel
Gemalt sein eignes Bild,
Es ist nichts als der Winter,
Der Winter kalt und wild.

人々の眠る村を後にした若者に夜明けが訪れます。しかしそれは希望の夜明けではなく、烈風吹き荒ぶ禍々(まがまが)しい異形の光景。この曲集の随所に現れ、若者を翻弄してきた風がいよいよその猛威を振るい、灰色の雲を切れ切れに蹴散らし、血=死の象徴とも言える赤い朝日、あるいは朝焼けを現出させます。若者はその荒れ果てた心象風景を見て、自虐的に高揚するかのように元気良く歩んで行きますが、やがて虚勢も尽き、幻にすがる次曲を経て、いよいよ死出の旅路を選ぶ「道しるべ」に繋がってゆきます。

タイトル「嵐の朝」"Der stürmische Morgen"に対し、一行目の"der Sturm"の訳語は「烈風(れっぷう)」を取りましたが、この「嵐」は雨あるいは雪を伴うものでなく、強風で雲を吹き飛ばし青空と朝日を見せるのであり、また、この詩集で若者を翻弄する運命の力の象徴と考えられる「風」が強大化したものだからです。

シューベルトの順序では逆になってしまっていますが、ミュラーの詩集では「嵐の朝」は「休息」「孤独」の前にあり、これらの詩の「嵐」が「嵐の朝」で言及される「嵐」と見るのは自然なことでしょう。ことに「孤独」の内容はこの詩との対照が顕著で注目されます。

ああ、なんと穏やかな風!
ああ、なんと明るい世界!
嵐が吹き荒んでいた時は
これほどに惨めではなかった
(「孤独」より)

心よ、お前は戦いや嵐の中で
あれほど勇猛果敢だったのに
静けさの中で初めて蟲が蠢き
灼けた針で刺されているのだ!
(「休息」より)

さてこの詩、第一義的には、若者の荒んだ心象風景なわけですが、戦場の記憶の隠喩と見ることも可能でしょう。そうした多義的解釈を生む理由として、赤い朝日、あるいは朝焼けと思われる描写が「紅い焔の輝き」"rote Feuerflammen"という抽象的な言葉で表現されていることがあります(註1)。それは気象としての色彩であると共に、焔として戦火の、血の赤として死や戦いの象徴であることも考え得るでしょう。また、この「紅い焔の輝き」は、この詩集に現れる色彩の中で唯一の「赤」であることも注目されます。

いずれにせよ、この詩集の持つ多義性・重層性が、決して偶然ではなく、詩人ミュラーによって仕掛けられたものであることを窺がわせる箇所です。

さらにこの詩の中に、フランス革命の象徴である三色旗が暗示されているという説があります(註2)。言うまでもなくそれは「自由・平等・博愛(兄弟愛)」を表す青・白・赤の三色旗ですが、フランス国旗としてはナポレオン敗北後の王政復古時代(1814-1830)に廃止されており、ウィーン体制下での、革命と自由の象徴となっていました(註3)。ミュラーの『冬の旅』の構想と成立は正にその時代のことです。

その旗を掲げるフランス国民軍と、ミュラーの加わったドイツの国民軍は「自由と独立」のために戦い、打ち破りましたが、結局勝利を収めたのは旧封建体制の特権階級であって、ナショナリズムを煽られた国民軍同士の戦いは権力側に騙されての言わば同士討ちだったのです。

しかし、「赤」はともかく「青」と「白」はどこにあるのかという疑問が起きるでしょう。確かにこの詩の中に「青」と「白」を指す語はありません。これについて三宅幸夫氏は「「灰色の空」の灰色grauは同じ母音で本来の空の色「青blau」を、「雲」は「白」を想起させる」と書いていますが(註4)、これはかなり無理のある説明ではないでしょうか。同じ母音というだけで全く異なる色を連想するというのも、吹き払われた灰色の雲から白を連想するというのも、わたしにはどうにもこじ付けとしか思えません。

それに対し、梅津時比古氏は三宅氏の説を引用しながら、「冒頭の、〈灰色の服を破る〉という詩句は、〈灰色の服を破ると青い空が見える〉というドイツ語の春の詩における定型表現を連想させ、表に出てこない青を背景に引き寄せている。」としていますが、詩句に書かれていない青を見出したのは卓抜な読みと思います(註5)。白については梅津氏も書いていませんが、それが雲からの連想など持ち出すまでも無いことに、わたしもうっかり気づきませんでした。当たり前過ぎる話ですが、この『冬の旅』ではあたり一面雪景色、白一色に閉ざされているのではありませんか(註6)。

こうして青・白・赤の三色が揃ってみると、白一色の広大な大地の上にどんよりと広がる灰色の暗雲を強風が蹴散らして青空が現れ、そこに真っ赤な太陽が昇ってくるという、誠に壮大なスケールの三色旗、自由の象徴が劇的に出現することになります。

言葉として書かれることなく表現された色彩。このことは、愛の思い出の色彩を全て覆い尽くす白い雪と、命を脅かす寒さが、たとえ詩句に現れなくても『冬の旅』の24曲に常に存在していることを思い出させてくれます。そしてそれらが象徴する愛の苦悩もまた、その度合いや質を変えつつも、全編に渡り常に主人公を苦しめ続けているとわたしは思います。

この曲集が後半に進むに従って、娘への愛についての直接的な言葉が見られなくなることから(註7)、この詩集の表現するものは実は失恋の苦悩の物語ではない、などという分析もありますが、それはこの曲で若者の眼前に広がっている白い雪の存在に気づかなかったわたしと同等の迂闊な読みであると思えます。それが失恋物語と自由主義運動の挫折を重ね合わせた重層的構造であるにせよ、失恋の傷心との戦いの物語としても充分な完結性を持つ作品とわたしは考えています。

シューベルトのつけた音楽は演奏時間1分に満たないものですが、豪快さが印象に残る曲で、中間部では軍隊行進曲調になります。この部分の詩の「その中へと進んでゆく」は、辞書的に「その中へと進軍してゆく」と訳すことも可能ですので、シューベルトには戦場の描写という発想があったのかもしれません。例によって歌詞から感嘆符を省いていますが(2,8,12行目の末尾)、言葉の強調は音楽によって十分に表現されているということでしょうか。

なお楽譜の冒頭には”Ziemlich geschwind, doch kräftig”(かなり速く、しかし力強く)と記されていますが、この”Ziemlich geschwindの「かなり速く」は「非常に速く」ではなく、「わりと速く」、「速めに」の意、すなわち単なる「速く」よりは遅いということですので注意が必要です。

註):
1.ミュラー、シューベルト研究者渡辺美奈子さんの示唆による。
2.『菩提樹のさざめき』三宅幸夫(春秋社2004)で紹介されている。三宅氏はこの説に出典があることを明らかにしていないが、渡辺美奈子さんによるとG.ガートが博士論文(1989)に書いたもので、C.ヴィトコップの著書(1994)に引用されている。
Gad, Gernot: Wilhelm Müller. Selbstbehauptung und Selbstverleugung. Diss. Berlin 1989, 134f. Nach: Wittkop, Christiane: Polyphonie und Kohärenz. Wilhelm Müllers Gedichtzyklus „Die Winterreise“. Stuttgart (M&P Verlag für Wissenschaft und Forschung) 1994, S.81
3.1830年のベルギーの独立革命ではこの三色旗が掲げられたという。(『世界の国旗』吹浦忠正(はるぷ出版))
4.『菩提樹のさざめき』三宅幸夫(春秋社)215頁。
5.『冬の旅 24の象徴の森へ』梅津時比古(東京書籍)290頁。残念ながら梅津氏はその定型表現の出典や実作例を明らかにしていない。
6.渡辺美奈子さんの示唆による。
7.「幻日」における三つの太陽のうち二つを恋人の瞳とする、最も妥当と思える解釈では愛の苦悩が継続していることが明らかであり、更にミュラーの詩集の順序では、愛の苦悩を直接的に表現する「春の夢」が終盤に置かれている。

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この記事へのコメント

渡辺美奈子
2008年07月28日 00:00
甲斐さん、こんばんは。甲斐さんの訳には美しさと速さがあり、訳詩から風景が見えるようですね。また今回も、解釈において私見を好意的に受け止めて下さり、感謝します。特に雪を含めた広大な風景と、主人公の心象風景の多層的解釈を受け入れて下さったことをたいへん嬉しく思います。以下甲斐さんとはすでに話合っていたことですが、簡単にコメントいたします。
拙稿「『冬の旅』の根底にあるもの」で、私はこの詩の前半に関し、解放戦争におけるミュラーの戦闘体験の回顧と書きましたが(88頁)、このことは、ミュラーの詩「緒戦の朝の歌」(1813)最後の節前半「すぐに僕たちは/ 炎のように赤い剣を持って死の天使についていく」との関連からも考察できると思います。けれどもこの詩において最も重要なのは、ヴィトコプが述べているように(甲斐さんが註に挙げられた著書の80頁)、最後の節で風景の中に自分の心を見ることでしょう。千切れ雲は主人公ないし詩人自身の引き裂かれた心、そして「紅い焔の輝き」は、その傷ついた心から流れる血なのですね。
今後も、作品と作者の人物像を正しく伝えるため、互いに協力し合いましょう。
甲斐貴也
2008年07月28日 00:59
>渡辺美奈子さん
今回も数々のご教示ありがとうございました。また、拙訳への過分なお言葉恐縮です。初の邦訳となるミュラーの詩の数々、我が国における『冬の旅』受容のうえのみならず、詩人ミュラーの再評価という点で画期的な業績になると思います。
仰るごとく、引き千切られた雲と流れる血と読むと、第三連の意味が一番分かりやすいですね。またもご教示ありがとうございます。
こちらこそ、これからもよろしくお願いいたします。
goethe-schubert
2008年07月28日 12:29
甲斐さん、こんにちは。タイトルでは、他の詩との関連から「嵐」を選び、詩の中ではきわめて激しい風に相当する「烈風」を選んだのは、適切ですね。第2節前半では、方向を明確に出さなかったため、かえって太陽、戦火、主人公の千切れた心から流れる血のすべてを表すことができて良いと思います。『冬の旅』だけではなく、いくつもの内容をひとつのことばが表す時には、限定されないような訳文の工夫が必要ですね。
解説では、次の文が素敵でした。「言葉として書かれることなく表現された色彩。このことは、愛の思い出の色彩を全て覆い尽くす白い雪と、命を脅かす寒さが、...常に存在していることを思い出させてくれます。そしてそれらが象徴する愛の苦悩もまた、...全編に渡り常に主人公を苦しめ続けているとわたしは思います。」『冬の旅』ではとかく政治的な面や世界苦が強調されがちですが、「愛の苦悩」を忘れてはいけませんね。
甲斐貴也
2008年07月28日 23:58
>goethe-schubertさん
いつも好意的なコメントありがとうございます。「烈風」の選択、第二連での抽象性、また全曲を通した愛の苦悩の存在など、今回の勘所に同意していただけて嬉しいです。
それにしても、民謡風の韻文詩という制約の中で、このように二重三重の表現を込めるミュラーの手腕には感嘆するばかりですね。

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