シューベルト:歌曲集『冬の旅』 第20曲「道標」~『冬の旅』における「旅」と「逸脱」


20.道標

なぜ僕は他の旅人が
歩く道を避け
雪積む岩山を抜ける
隠れた小道を探すのか

人目を恐れることなど
何もしてはいない
なんと馬鹿げた欲求か
荒涼の地へと駆られるとは

路傍に標(しるべ)が立ち
街々の方角を指している
だが僕は憑かれたように歩く
安らぎ無く 安らぎを求め

眼前で微動だにしない
一つの標を見て佇む
往かねばならないのだ
誰も帰ったことの無い道を


20. Der Wegweiser

Was vermeid' ich denn die Wege,
Wo die ander'n Wandrer gehn,
Suche mir versteckte Stege
Durch verschneite Felsenhöhn?

Habe ja doch nichts begangen,
Daß ich Menschen sollte scheun,
Welch ein törichtes Verlangen
Treibt mich in die Wüsteneien?

Weiser stehen auf den Wegen,
Weisen auf die Städte zu,
Und ich wandre sonder Maßen,
Ohne Ruh', und suche Ruh'.

Einen Weiser seh' ich stehen
Unverrückt vor meinem Blick,
Eine Straße muß ich gehen,
Die noch keiner ging zurück.


 「死に至る罠」を示唆する前曲「幻惑」で鬼火らしきものの誘いに乗った主人公は、進んでいた道を外れてしまいます。精神的疲弊も極みとなり、今や求めるものは安らぎのみ。

 これまでのわたしの読みでは、主人公は無人の雪原を歩いているよりも、人里あるいはそれに近いところを歩いている場面が多いということでした。事情があって真夜中に出発はしたものの、極寒の中、死の誘惑をも振り切ってひたすら進むそれは目的地のある「旅」であって、よく言われるような当てども無い「さすらい」ではないはずだと思えるのです。しかし一方、この作品がそうした「当てども無いさすらい」という印象を与えるのもまた事実でしょう。その一因として、その成立の事情によるミュラーの原詩集とシューベルトの歌曲集の曲順の差異があると思います。  

 そこでミュラーとシューベルトの順序の比較を下記で検討してみました。曲集の分析としては単純でやや一面的ではあるのですが、ミュラーの追加が全編にほぼ均等に行われ、初稿の物語を基本とした肉付けが行われていることと、シューベルトが追加分を後半部にまとめたことが、構成を複雑化はしたものの、ミュラーの全体構想を傷つけるものではないことが読み取れると思います。

『冬の旅』における「旅」と「逸脱」

 いずれにせよ、この曲の第四連が主人公の死の決意であるのは間違いないでしょう。微動だにしない標とは、現実の標識ではなく、死出の旅立ちへの決意の象徴と思われます。
この部分で同音反復を繰り返すシューベルトの音楽は、死の誘惑に取り付かれた主人公の心情と、間近に迫る死の世界を表現して余すところがありません。ここに用いられたシューベルトの音楽技法についてはこれまで多くの分析がなされていますが、注目のミュラー・シューベルト研究家、渡辺美奈子さんが先日ご自身のHPに傾聴に値する独自の解説を掲載されました。第四連で、死を象徴する「悪魔の引き臼」が用いられた後、「ラメント・バス」で終結するところなど、意識して聴くとさらに感動的です。是非ご覧ください。

渡辺美奈子 「道標」における死と戦慄の象徴 ― 同音反復と半音階的模続進行「悪魔の挽き臼」Noten zur Winterreise. 2008

 なお「鬼火」と「休息」のところで、わたしは鬼火の導きで炭焼き小屋に着いたとも思ったのですが、これは読みが浅かったです。鬼火の誘いに乗って道を外れ、岩場に迷い込んで死にかけたところ、偶然行き当たった炭焼き人の家に宿を得て命拾いした、というのが今の解釈です。
(2008.8.16 甲斐貴也)

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この記事へのコメント

Clara
2008年08月17日 10:26
甲斐さん、こんにちは。

ドイツ語は分からないので、日本語訳の詩のみについて、質問です。

第一連ですが、

”なぜ僕は他の旅人が
歩く道を避け
雪積む岩山を抜ける
隠れた小道を探すのか”

この「なぜ僕は」の言葉の結びがないのですが、

なぜ(僕は)他の旅人が
歩く道を避け
雪積む岩山を抜ける
隠れた小道を探すのか

あるいは

なぜ僕は他の旅人が
歩く道を避け
雪積む岩山を抜ける
隠れた小道を探すのか(不思議だ、分からない)

と言う風に読んでいいのですか。
ヘンな質問、ごめんなさい。
渡辺美奈子
2008年08月17日 19:07
甲斐さん、今回は推敲を重ねた訳詩の他、旅と逸脱をテーマとしたツィクルス分析表まで掲載してくださり、ありがとうございます。
 訳詩でとりわけ優れていると思ったのは、最後の節前半。原詩でミュラーは、第2行冒頭のことばを、「僕」と道標のいずれかにかけたか、両方 にかけたか曖昧なのですが、甲斐さんは、「微動だにしない」と「佇む」という訳によって、両方を指したため、ドイツ語の表現をうまく日本語に置き換えることができたと思います。素晴らしい訳でした。また第3節の「憑かれたように」も、日本語として美しいですね。
 解説と表は、ツィクルス全体の中で「道標」の位置を明確にされ、ミュラーにおいて特徴的な弁証法的構成、すなわち、旅(正)→逸脱(反)→旅(合)という3段階の構成をみごとに描いたものだと思います。簡潔でありながら、ひとつひとつのことばに奥深さも感じます。シューベルトの弁護にもなりますね。シュトッフェルスがさまざまな表を作っていますが、道と逸脱に関するものはないため、『冬の旅』研究史に活路が開けたような気がいたします。今後も互いにがんばりましょう。
甲斐貴也
2008年08月17日 21:02
>Claraさん
いつもご訪問ありがとうございます!
ヘンどころか大変ありがたいご質問です。ご指摘の通りです。わかりやすくすると

なぜ僕は、他の旅人が歩く道を避けて、
雪積む岩山を抜ける隠れ小道を探すのか?

でしょうか。元のドイツ語詩からできるだけ離れずに日本語としてそれらしく訳すのは難しく、毎回苦悶しています。今後もよろしくお願いいたします。
甲斐貴也
2008年08月17日 21:31
>渡辺美奈子さん
いつもコメントありがとうございます。
ご指摘の箇所、難しくて何度も直しました。ご高評を頂けまして幸いです。

表の方は、ご指摘の「旅(正)→逸脱(反)→旅(合)」という図式をわかりやすく表示できましたなら嬉しい限りですが、これでさらに「正→合」への発展性を明らかにしなければ一面的なものに留まるのでしょうね。

そのあたり、渡辺さんのご研究に期待しております。いつも過分なお言葉ありがとうございます。今後もよろしくお願いいたします。
Clara
2008年08月17日 23:11
甲斐さん、私は主語の採り方を間違えて読んだようですね。
最初の間違いは、「他の旅人」に付いた助詞の「が」を「は」と読み違えたための間違いであり、2番目は、「僕」の主動詞が、詩の外にあると思ったための間違いでした。
ご説明で、よく分かりました。
有り難うございます。

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