シューベルト『冬の旅』第3曲「凍った涙」~ドイツの冬に涙は凍るか?

『冬の旅』第3曲です。この詩で描かれている、流した涙が氷になって落ちるという情景、ドイツの冬で起こりえるのでしょうか。御存知の方おられましたらぜひご教示ください。

シューベルト『冬の旅』第3曲「凍った涙」

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この記事へのコメント

フランツ
2008年01月20日 20:46
「…それに抗して歩み始めた「旅」の無謀さ、その精神的物理的極限状況を説明するのが、この曲の曲集中における位置」-私もその通りだと思います。まだ夜の厳寒の中で旅することがいかに無謀なことかが、この詩からも感じられます。
それと同時に私は、主人公が自らの涙のなまぬるさをなじるということが、「もっと熱くなれ」と自らを奮い立たせていることの裏返しの表現のようにも受け取っています。自然現象には物理的には抗えなくても、心のうちは燃えたぎる気持ちを持ち続けるのだと自らを鼓舞しているような気がするのです。冬の氷すべてを溶かしてしまえと思ったあの心意気を寒さによって忘れてしまっては駄目だぞと自分に言い聞かせているのではないでしょうか。
甲斐
2008年01月20日 21:38
フランツさん、コメントありがとうございます。
若者の気持ちとしては正に仰る通りと思います。シューベルトの音楽も第三連を繰り返して高揚していますね。ですからここで「生ぬるい」をあまり深読みして、情熱の喪失に結び付けるような解釈には疑問を感じているのです。
other_wind
2008年01月21日 17:17
「冬の旅 24の象徴の森」で「凍った涙」をおそろしく象徴的に使ったとし、その凍ったレンズから「ゆがんだ形で世界を見ている」という意見は私も深読みすぎではないかと思いました。シューベルトには政治的な主張などなかったでしょうが、ミュラーの詩にはそれがありそうだという意見には賛成で、私にはその詩がどうしても失恋物語以外の何かを含んでいるように思われます。「熱くだぎっていた」のはミュラーの自由主義への思いであり、以前は社会も沸き立ったはずなのに、今は冬という象徴が示す反動体制、検閲制度で口がふさがれた状態で、あの熱狂はどこへ行ってしまったのだろうか。そんな状態を「生ぬるい」と言っているように聞こえます。「冬の旅」はミュラーには自身の失恋体験と社会批判的な面が入り混じっていて、ミュラーが後に出来た詩を検閲に引っかからないように散りばめたとする意見をおもしろく読みました。シューベルトはその絶望と諦めに注目したように思います。
甲斐
2008年01月21日 18:39
other_windさんコメントありがとうございます。「生ぬるい」に込められた政治的背景、非常にわかりやすくまとめてくださいました。ミュラーの詩の解釈としては大いにあり得ることですね。
シューベルトの歌曲のテキストとしての読みはまた別の話にはなりますが、フランツさんが書かれた読みならば、自由主義運動の停滞への思いの隠喩にも十分とれると思います。
まず間違いないのは、ミュラーの詩は決して単純な二流の恋愛詩などではなく、時代背景に関連する重層的な読みが可能な、失恋物語の形を借りた精神的逼塞状況の隠喩であるということですね。

そのような詩の背景を理解した上で、この歌曲集から、そうした精神的逼塞状況の隠喩にふさわしい、深い苦悩と精神的危機を読み取って行きたいと思います。引き続きよろしくお願いします。
甲斐
2008年01月21日 22:37
なおミクシィの方で、ドイツでもさほど寒くはないウェストファーレンに住んでいる時に、連日零下25度ということがあったというご投稿がありました。「吐く息が口の周りでバリバリ凍ってへばりつく感じでしたよ。」だそうです。同程度の気温の北海道の冬に涙が凍るという情報はネット上でもかなり見られますので、ドイツの冬に涙が凍っても不思議はないはずです。
それで「涙が凍った」が現実の描写か、寒さの比喩かという解釈の問題に結論が出るわけではないのですが、ドイツの冬がそれほど厳しいものであることは、この曲の背景のひとつとして知っておくべきかと思います。
 

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