1814年W.ミュラー少尉の『冬の旅』~語られない「前段」の真相!?

『冬の旅』の訳詩のための参考文献として、『ゲーテ年鑑第48巻』(2006年・社団法人日本ゲーテ協会)所収の「『冬の旅』の根底にあるもの~ヴィルヘルム・ミュラーのベルリン、ブリュッセル時代」(渡辺美奈子著)を読みました。そこでは驚くべきことに、『冬の旅』がミュラーの実体験に基づくものであることが明らかにされています。

ベルリン大学在学中に1813年プロイセン軍義勇兵として反ナポレオンの解放戦争において前線で戦い、秋に少尉となって1814年初めにブリュッセルに赴任。そこである女性と恋愛問題を起したことを咎められて軍を追放され、その冬にベルリンに帰還。恋の終わり、追放と冬の旅、まさに『冬の旅』そのものの体験をしていたわけです。

わたしが「おやすみ」の訳を作る際に考えた「前段」でも「追放」という設定はしましたが、なんとも興味深いのは似て非なるその状況です。事実関係の詳細は日記にも書き残されず不明とのことですが、軍の名誉を汚すような問題というと、これは当然単なる失恋ではないでしょう。またまた妄想を膨らませて恐縮ですが、不倫事件でも起したのでしょうか? そして目的地のない「さすらい」と思われていた「始まりもなく終わりもない」はずのこの「旅」が、ブリュッセルからベルリンへの「旅」であったとは。

確かに、この物語を調べていると、「凍りつく涙」「鬼火」「幻」「三つの太陽」という大げさな比喩あるいはオカルトめいた要素が、それぞれ自然現象としてあり得ることがわかり、荒唐無稽なところがほとんどないことがわかってきました。そして渡辺氏の書かれる様に、この作品の中で描かれる厳しい寒さや悲しみ、疎外感の描写は実体験無しに書けるような物ではないという指摘にも同意したいと思います。

さらに渡辺氏は、その恋愛が官能的なものであったとし、第9曲の歌詞におけるナイチンゲールとヒバリが競い合って鳴く場面などがそれを示唆する表現としています。わたしは別件でナイチンゲールの生態を調べたことがあるのですが、夜の間鳴き続けるそれと夜明けから鳴くヒバリが同時に鳴く状況というのは、未明から夜明けまでに間違いなく、それはつまり若者と娘がその時間を共に過ごしていたとを示唆すると読むことは十分可能と思います。そしてその時娘の目は太陽のように輝いていたと・・・。

それで思い出すのは、名伴奏ピアニスト、グレアム・ジョンソンによる「前夜、青年と娘はベッドを共にして、その翌朝、青年は去ってゆく」(梅津時比古著『冬の旅 24の象徴の森』東京書籍 p.46)という『おやすみ』の「珍」解釈です。これを読んだ時は、いくらなんでも・・・と思ったのですが、上記のような状況設定からすると十分ありえますし、しかもあの最終連の歌詞、

君の夢の邪魔をして
安らぎを乱したくはない
足音を聞かれぬように
そっと、そっと戸を閉める
通りすがりに書きとめよう
門に「おやすみ」と
君を想っていたことを
わかってもらえるように

「そっと」をふたつも使ってまで静かに戸を閉めようとしていること、大きな家の玄関口の扉だったらそこまですることもないはずですが、彼女が寝ている部屋からそっと出て行くというのなら、非常に筋が通っているではありませんか。そして門に「おやすみ」とだけ書いて去ってゆく。なんというカッコ良さでしょうか(笑) 傷つきやすい純朴な若者という主人公の、シューベルトの、そして「水車小屋」寄りのイメージを覆す、実戦経験もある逞しさと奔放な恋愛体験。まさに事実は小説よりも奇なりと言うべきか、わたしはこの主人公をすっかり見直しました。

その後1815年から翌年にかけて、ミュラーはルイーゼ・ヘンゼルという少女への愛と失恋(16歳年長の著名な作家ブレンターノに奪われたという)を日記に綴り、何度も「おやすみ、ルイーゼ!"Gute Nacht, Luise!"」と記しており、『冬の旅』には20代初めのこの二度の恋愛体験と、メッテルニッヒの主導による自由主義運動の弾圧に屈した社会への批判などが織り交ぜられていることを渡辺氏は論じています。

『冬の旅』の訳を始めて、いろいろな解釈のあるこの作品、やはり行き着くところは究極の絶望しかないのではと思い始めていたのですが、絶望の中でも一貫して死の誘惑を拒み続けて進んで行く意外に逞しいこの主人公、新たな道を見つけるのではないかとも考えられるようになりました。こうなるとわたしの考えた「前段」も全面改訂せざるを得ないですね。しかしミュラーの実体験など知る由もないはずのシューベルトが考えたのは、わたしのに近かったのでは・・・などと負け惜しみの言い訳も考えているところです(笑)

ともかくも大変興味深い渡辺氏の論考、『冬の旅』を愛する方は必読のものと思います。大学図書館などで閲覧可能ですので是非ご覧下さい。

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 1

面白い

この記事へのコメント

other_wind
2008年02月12日 21:19
この二つの失恋事件から「冬の旅」が生まれたとしても、ルイーゼとの5年後、結婚、第一子誕生のめでたいときになぜこの詩が作られたかがわからないのです。
菩提樹は太母の象徴として見たときにどうなるかを考えています。
甲斐
2008年02月13日 01:24
必ずしも悲劇のどん底で悲劇を書き、幸せなときに幸せな詩を書くとはかぎらないのではないでしょうか。マーラーも幸せなときに「子供の死の歌」を書き、アルマが怒っているという場面が映画でありました。
日記にも書かなかった「冬の旅体験」が、幸せを得た時になってようやく作品に昇華できる「過去」になったのでは、と思いますが。
甲斐
2008年02月13日 08:42
同じ失恋物語のシューマンの「詩人の恋」と、最後に夫が死んでしまう「女の愛と生涯」も、1840年、シューマンとクララが結婚した年、いわゆる「歌の年」に書かれましたね。
マーラーは交響曲第6番「悲劇的」も個人的な幸福の絶頂期に書いてますが、「子供の詩の歌」と共にその後の不幸の予言になってしまっていました。しかし別の恋愛体験を混合したりしているミュラーはともかく、シューベルトがどん底で「冬の旅」を作曲したことは間違いなく、やはり上記の諸作品よりも苦悩の切迫度が違うように思います。もちろんみな素晴らしい作品ではあるのですが。
other_wind
2008年02月13日 14:51
詩に触発されて音楽が出来上がるのは分かるのですが、詩という言葉が幸福の時に絶望の詩が生まれるのか、私にはわからないのです。
ミュラーの詩の社会批判的な面を考えると、意図を持って書かれた、すなわち、批判する力を有していて、まだどん底ではないように思えて、何か救われた気分になります。
詩に触発されたシューベルトの音楽、これは救いがないんじゃないかと思えてきました。
甲斐
2008年02月13日 20:13
そうですねえ、幸福な時に書かれた不幸な詩、そうすぐには思い浮かびませんが、ヘルダーリンがギリシャ独立戦争を題材にした「ヒュペーリオン」は、その第1部で描いた最愛の恋人ディオティーマとそっくりな愛読者の女性と知り合い、幸せの中で第二部を書き、その中でディオティーマを死なせています。彼は彼女に「こうでなければならなかったのです」と弁明していました。説得力のある答えを出すには少し調べてみないと。
ミュラーの「冬の旅」体験、創作のネタとしてはこれ以上ないようなものですよね。精神的に落ち着いた頃に、「あれ使っちゃえ」てなもんじゃないですかね(笑)。わたしもミュラーの詩は生きて行く詩だと思うようになりました。ベルリン行きはともかく(笑)
甲斐
2008年02月13日 20:14
シューベルトの音楽はミュラーより深刻ですね。それでも、あの最後に「わたしの歌Liedに合わせてくれるのか」と言っているでしょう。シューベルトなら「歌」という言葉に反応しないわけがないと思うのです。それまでの物語には前触れもなく出てくる主人公の「歌」。シューベルトは、苦悩と恥辱に満ちたどん底の道を、歌をうたうことで耐え忍び、生きて行くと読んだのではないかと。そんなことを考えているところです。
甲斐
2008年02月13日 23:59
すいません、1813年ではなく1814年の冬でしたので訂正しました。1812年のナポレオンロシア遠征の大敗に乗じた1813年春のプロイセンの対仏宣戦布告により募られた義勇兵として参戦、1813年10月16日-19日のライプツィヒの戦い(諸国民の戦い)によりプロイセン国内からフランス軍を撃退したのち、1814年春ナポレオン退位後ベルギーのブリュッセルに置かれたプロイセン軍司令部に赴任していたということなら、ミュラーはドイツで言う「解放戦争」を戦い抜いた勇士ということにあるでしょう。
甲斐
2008年06月14日 17:15
ふたつ目のパラグラフの記述に誤りがあったので再度訂正しました。

誤「ベルリン大学在学中に1813年プロイセン軍義勇兵として反ナポレオンの解放戦争に参加後、1814年秋に少尉としてブリュッセルに赴任。」

正「ベルリン大学在学中に1813年プロイセン軍義勇兵として反ナポレオンの解放戦争において前線で戦い、秋に少尉となって1814年初めブリュッセルに赴任。」

つまり少尉となったのは1813年秋のことで、ブリュッセルに赴任したのは1814年初めということです。
渡辺美奈子
2008年07月19日 22:28
甲斐さん、こんばんは。拙稿に関して好意的な記事を書いてくださったばかりでなく、甲斐さんの『冬の旅』歌詞対訳に活かしてくださり、たいへん嬉しく思います。『ゲーテ年鑑』第48巻「日本版」は、編集委員の先生方のご厚意で一般販売が予定されていたのですが、何らかの事情でなされていないようですね。甲斐さんはじめ、拙稿を読んでくださった方々は、論文集の入手に苦労されたことと思います。その上で精読していただき、心から感謝いたします。なお私のホームページに正誤表と補足を掲載しましたので、必要に応じ、訪問していただけると幸いです。
拙稿においては、ミュラーのベルリン・ブリュッセル時代の体験を中心とし、『冬の旅』の根底には、絶望すなわち「慰めようもないこと」と諦念、いわゆる「あきらめ」があるという結論を導きました。けれども確かに甲斐さんが書かれたように、主人公は「絶望の中でも一貫して死の誘惑を拒み続けて」いますね。私も、この論文出版後、甲斐さんと同様の意見を持っておりました。次の機会に主人公が何を求めてさすらっていたか考察したいと思っています。このたびは貴重なご感想をありがとうございました。
甲斐貴也
2008年07月20日 07:35
渡辺美奈子さん
コメントありがとうございます。こちらこそおかげさまで「冬の旅」への理解が格段に深まり、多様な解釈が可能ということを知ることが出来て大変な収穫でした。それにしても『ゲーテ年鑑』第48巻「日本版」が市販されなかったのは大変残念ですね。
現在第17曲「村で」に取り組んでおりますが、さすがのタフな若者もこれ以後精神的疲弊が増してくることになりますね。そこで「宿屋」での死の拒否が大きな意味を持ってくると思うのですが。渡辺さんの研究の新たな展開を楽しみにすると共に、わたしなりの読みも深めてゆきたいと思います。今後もよろしくお願いいたします。

この記事へのトラックバック